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鹿児島地方裁判所 平成元年(わ)328号 判決 1989年10月26日

主文

被告人を禁錮八月に処する。

本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

本件公訴事実中道路交通法違反の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、平成元年五月六日午前六時ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、鹿児島県日置郡伊集院町徳重一七八六番地の六先道路を伊集院町市街地方面から妙円寺団地方面に向かい時速約四〇キロメートルで進行中、進路前方左右を注視し、進路を適正に保持して道路左側を進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、タバコに火をつけるためシガーライターの設置してある運転席左下部を脇見したまま、漫然前記速度で進行した過失により、自車を対向車線上に逸走させ、折から対向進行してきたA(当時五三年)運転の軽四輪貨物自動車前部に自車前部を衝突させ、よって、同人に加療約九八日間を要する右膝蓋骨骨折等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)<省略>

(一部無罪の理由)

一  本件公訴事実中道路交通法違反の点は、「被告人は、呼気一リットルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有する状態で、平成元年五月六日午前六時ころ、鹿児島県日置郡伊集院町徳重一七八六番地の六付近道路において普通乗用自動車を運転した」というものである。

二  ところで、道路交通法一一九条一項七号の二に規定する酒気帯び運転の罪の故意が成立するためには、行為者においてアルコールを自己の身体に保有しながら車両等の運転をすることの認識が必要である(最高裁判所昭和五二年九月一九日第一小法廷判決)ところ、被告人は、当公判廷において、本件運転行為を開始するに際して、アルコールが身体に残っているかどうかについては格別考えなかった旨供述する。

三  そこで、検討すると、関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

被告人は、本件当時タクシーの運転手として稼動していたものであるところ、平素、午後八時半ころから一時間位かけてお湯割の焼酎コップ四、五杯程度の晩酌をする習慣があったが、これまで晩酌の翌朝体内にアルコールが残っていると感じたことはなく、晩酌の翌朝にアルコール検査などを受けたこともなかった。また、被告人は、酒を飲んだ翌朝妻から酒臭いと言われたことがあるが、それは友人と外に飲みに行った時などであって、通常の晩酌の翌朝にそのように言われたことはなかった。

本件当時被告人は風邪をひいており、本件運転行為の前日である平成元年五月五日はまだ風邪が抜け切れなかったが、すでに二、三日乗務を休んでいたので、翌日は乗務に就こうと思って午後八時過ぎころにいったん床についたものの、なかなか寝つけなかったため、お湯割の焼酎三合位を約一時間かけて飲んだ上、さらに睡眠薬を飲んで、午後一一時ころ就寝した。そして、翌六日午前五時ころ目を覚ました被告人は、二、三日風呂に入っていなかったので風呂に行こうと考え、同日午前五時五五分ころ普通乗用自動車を運転して自宅を出て、同日午前六時ころ、罪となるべき事実記載の事故を起こし、事故現場でアルコール検査を受けたところ、呼気一リットルにつき〇・三五ミリグラムの濃度のアルコールが検出された。

四  ところで、人が飲酒の翌朝自己の体内にアルコールが残っていることを認識するのは、たとえば二日酔いなどの体調の不調を自覚するか、他人から酒臭などを指摘されたりすることなどによるのが一般であって、ことに、晩酌の習慣のある者は、翌朝酒臭がすることを頻繁に指摘されていたとか、翌朝アルコール検査を受けたことがあるとかの事実がない限り、単に前夜普段どおりの晩酌をしたことを認識しているだけでは、翌朝自己の体内にアルコールが残っているかどうかについては格別意識しないとしても不自然ではないと思われる。

これを本件についてみると、被告人は、前記認定のとおりこれまで晩酌の翌朝アルコールがまだ体内に残っていると感じたことはなく、またアルコール検査を受けるなどしたこともなかったのであるから、前夜の晩酌が被告人の通常の晩酌に止まっているかぎり、その翌朝被告人がアルコールの残存について格別意識しなかったということは充分考えられることである。そして、被告人の本件前夜の飲酒は、飲酒を始めた時間こそ普段晩酌を始める時間より一、二時間遅かったものの、飲酒量は普段の晩酌の半分程であったのであるから、本件前夜の晩酌が、平素の晩酌と異なり翌朝アルコールが残っているのではないかとの危惧を被告人に抱かせる程度のものであったとまでは認められない。そうすると、本件運転行為を開始するに際して体内にアルコールが残っているかどうかについては格別意識しなかったとの被告人の前記供述は、あながちこれを虚偽として排斥することはできない。

五  ところで、検察官は、被告人が捜査段階において、検察官に対し、「昨夜飲んだ焼酎のアルコール分もまだ完全に抜け切ったとは思いませんでしたが、酔ってはいなかったので」運転したと供述していること、また、被告人は本件以前にも、酒を飲んだ翌朝妻から酒の臭いがするといわれたことがあること、本件の前夜は風邪気味で体調が悪かったこと、いつもより遅い時間に焼酎を飲んだことなどの認識があることから、被告人は本件運転行為開始の際自己の身体にアルコールを保有していることの認識を有していた旨主張する。

しかしながら、先ず、検察官の指摘する右捜査段階の被告人の供述は、アルコール分が体から「抜け切ったとは思わなかった」ことを認めるものであるが、しかし、それで、ただちに、アルコール分が残っていると思ったとの趣旨の供述であるとは解することはできず、抜け切ったとも思わなかったし、残っているとも思わなかった(要するに、アルコールのことは考えなかった)との趣旨の供述とも解しうる余地があり、酒気帯び運転の故意を認めたものとするにはあいまいであるうえ、被告人は、本件事故の直後司法警察員に対しては、「平素は晩酌のとき二合位かんをしたものでコップ四、五杯は飲むのに昨夜はコップ二杯だけで飲んだ量が少なかったし、目覚めがさわやかでしたので酒気帯び運転のことなどまったく頭にありませんでした」とも供述しているのであるから、検察官指摘の前記検察官に対する被告人の供述を被告人が酒気帯び運転の故意を自認したものとまでみることはできない。次に、被告人が、酒を飲んだ翌朝妻から酒の臭いがする旨指摘されたことがあったことは前記認定のとおりであるが、その指摘が、晩酌の翌朝は前夜のアルコールが体内に残っているものだという認識を被告人に形成させるほど頻繁にあったとまでみとめるに足りる証拠はない。また、本件前夜被告人は体調が悪く、通常の晩酌時間より遅くから飲み始めたことも前記認定のとおりであるが、それが普段の晩酌と異なり、翌朝までアルコールが残っているのではないかとの危惧を被告人に抱かせるように飲酒状況ではなかったこと前示のとおりである。そうすると、検察官指摘の各事実を考慮しても、本件運転行為の際、自己の体内にアルコールが残っているかどうかということについては格別考えなかったとの当公判廷における被告人の弁解を排斥して、被告人に酒気帯び運転の故意を認めるに足りないと言うべきである。

なお、本件事故直後測定した被告人の呼気一リットル中の前記アルコール濃度〇・三五ミリグラムは決して低いものではなく、また、司法警察員作成の酒気帯び鑑識カードによれば、事故直後被告人の顔色は赤く、目は充血しており、顔面から三〇センチメートル離れたところで酒臭がしていたと認められるが、アルコール濃度や外貌は、必ずしもその者のアルコール保有の認識と直結するものではないから、これらの事実のみで被告人に酒気帯び運転の故意を認定することはできない。

六  以上によれば、被告人に酒気帯び運転の故意があったとするには、なお合理的な疑いが残るから、本件公訴事実中酒気帯び運転の点については、犯罪の証明がないことに帰する。

(法令の適用)<省略>

(裁判官 坂梨 喬)

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